SHIMANE

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第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 絵日記

第一章

島根県。


その街にある出雲大社。
何でも、日本中の神様が10月に集まるとされる
パワースポット的な場所がある所。

その証拠に旧暦で10月は通常【神無月(かんなつき)】だが
島根では【神在月(かみありつき)】と言う。
神話時代は日本の中心だった場所で
神様つまり天皇家はここから発祥しているとも言われている。
(様々な諸説があり一概には言えないけども)
神話時代には既に出雲大社は存在し
海の上に建てられていたという。
その当時の柱の跡も残っており、その太さたるや圧巻される。

またアイヌ民族との関係もあるらしく
現在もアイヌ語の村(漁村?)が存在しているらしい…。

また京都の鴨川土手で歌舞伎を演じた"阿国"。
彼女はこの出雲出身とされている。

とにもかくにも、京都の歴史より更に前、
この出雲と言う国は凄い所だった事を証明する
物や、日本人のルーツを知り得るかもしれない
諸説、言伝えなどミステリアスな事柄が点在している。

が、しかし、このホームページを見ている人は
この数行の文章で眠くなってしまったと思う。

そう。このホームページはスケートボードのホームページ
であって【歴史探索】のページでは無い。

正直、この僕でさえ行く事がなかっただろう街だった。
正確な場所すら分からなかった。

数年前までは…。

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第二章

数年前、大阪のスケートチームのページで一枚のパークの写真を
見かけた。
一言目は忘れもしない

「ここ日本け?」

だった。

 

フォーマット化が好きなここ日本。
その中でも更に画一化されたシステム
で運営されているお役所や行政。

スケートボードが流行すればとにかく"坂"的なものを作れば
過疎化が激しい地域は町興しになるだろう
他府県のパーク建設の例を元に我が町もパーク運営すれば
怪我人の出方や対処の仕方も分かる。

保障問題に発展しても「○×市のパークではこういった場合…」と
言う切り口で話を進め"逃げる"手段を模索出来る。

僕自身、そういった類の交渉、要求に答え
地元京都の火打形公園スケートパーク建設に関って来たのだから
その様な苦労は普通の人よりは分かるはず。

火打形公園も「日本一のパークを作れ」と言うのが
第一条件だった。
立ちはだかる様々な問題と
市からすれば実体を掴めない"スケーター"と言う人種の
扱い…その扱いを全てマニュアル化しろと言う行政。

とにもかくにも、"マニュアル化されていない"ものを1から
国や市町村などと作りあげてくのには恐ろしい根気と
苦労が必要だった。

正直、【公園遊具】の部類でランプやレールなどを
製造し販売している会社も存在する。
これだけ邪魔臭いならそこからランプを買って平坦な場所に
設置するのが大多数になってしまうのは理解出来る。

 

当時、アメリカのプロスケーター ロブディーリックが"スケートプラザ"と
称してスケートボード用の公園を作って一部で話題となった。

「近くの公園にスケーターが溜まって困る」
「公園の石がボロボロになる」
「スケボーが危なくて公園を歩けない」

世界共通であろう街でのスケーター被害届け。

今まではそう言った苦情に対して
【パーク】と言うスタイルでR(曲面)で構成された形状の
スケートボード用建造物が数多く建てられていた。

でもキッズ達が求めているのはやはり街を颯爽と駆け抜け
"スケボー用"としてそこにあるのでは無い物に執着し楽しみを見出す
ゆわゆる"ストリートスタイル"。
また、そういったキッズがスケートボード愛好者全体の
可端数以上を占めているという現実がある。

その様なムーブメントをただの街にタムロする若者と
して排除するか否かでスケートボードの"ストリートスタイル"の子達の
位置付けが変化してしてしまう可能性もある。

「するな」と言うからキッズ達は反抗期が故、やりたくなる…。

なら、「やれ」と言われる公園を作ってしまえ!!

という何ともアメリカ的な考えで出来たのが"スケートプラザ"
世界中の有名スケートスポット(もちろん許可されていない公園)
と同じ採寸の階段や手すりをその公園に忠実に再現し
スケートボード専用の公園を作ってしまった。

いつも公園で見慣れていた【スケートボード禁止】の看板が
このプラザでは【徒歩禁止】の看板に改造され
ビデオの演出だとは思うけども、警備員が歩いている人に
「滑れ!!」と注意する。

とりあえずやってみてダメなら止める というアメリカ人の考えの
モデルスケールの様な建造物が完成した。

この試みは成功した感がある。

元々"建築用"資材なので特注であつらえる必要もないし
階段の設計も一般の建築士ならお手の物。
つまり予算は特注よりはかからない。設計の手間も
最小限に抑えられる。
普通にスケーターが溜まりそうな公園を作ってしまえば良いの
だから…。実際このスケートプラザの完成を皮切りに
アメリカ国内に数箇所、北欧にも似た様な公園が
完成していた。

ただそれらは全て外国でのお話。
ここ日本でそこまでの先見性のある建造物を作るには
想像を絶する苦労がいると考えられる。

なのに島根県はそれを簡単に実現させた。
どういった過程を経てこの公園が完成に至ったかは不明。

僕自身、地元京都のパーク建設に関った人間であるからして
他府県の似た形状のパークの写真を見ても
地元に愛着があるが故、「負けてない」と思っていた。
しかし、島根県雲南市にある【チャレンジ広場】には
「完全完敗した…」と思った。

テレビにも雑誌にも3面記事で取り上げられる事は
絶対に無い。

ただ、スケーターと言う非常に狭いキャパシティの中では
島根県の恐ろしく柔軟な対応と地元スケーター達の
恐ろしく先見性のあるパーク構成力は
日本の狭いスケートシーンでは3面記事はおろか歴史を塗り替える
いや、ベルリンの壁崩壊とほぼ同等の革命だと言える。

その革命的公園、チャレンジ広場は
【革命】と言うにはいささか違和感を感じるのどか
いや、のどか過ぎる場所にあった。

あまりにものどか過ぎるその立地条件が
更にこの公園を崇高にそして"スケート天国"と言う俗称に
円熟さを与えてるのでは?と僕は勝手に決めている。

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第三章

超長い前書きで
うんざりしている方も多いだろけども
僕は字が大好きなので何ぼでも書ける。なので書く。

に、こんなのでうんざりしてたら、ツアーなんて行けない。

「絶対無理やって」「しんどいやん」

僕はこの2つの言葉を遊びの場面で聞くとイラっとする。
仕事の中で、金銭的、人事的に損害や徒労が出る可能性が
ある場合はその様に事前に警告を促す必要はあると思う。

ただ、遊ぶ事に関して遊ぶ前から「無理」「しんどい」とは絶対に
聞きたくない。それも僕より年齢の下の子から…。

しんどいのも無理なのも100も承知。
何も日帰りで日付変更線を越える様な
遊びを1日で企画しはしない。

1日24時間フルに使って行ける限界の場所を目指
したいだけ。

これから向かおうとしている
島根県にはそんな無理をしてでも行って滑る価値のある
場所がある。

最近、めっきり歳老いてムチャな距離の旅をしてなかったが
その昔、ムチャクチャな遠出ばかりしていた頃のメンツが

「ついにあの馬鹿(HOMORO)が動き出した!!」と
同窓会の様なメンバーと

滑りたくて仕方ないスケート汁ドロドロの若手メンバー、
「旅の途中に旅っておもしろいスね」で車に乗り込んで
来たヤツ...
と、ごった煮の様な構成で11人の馬鹿が集まった。

SUNFLOWERからは運転手でHOMOROこと荒川雄介↑

カメラマンでOKAMOこと岡本健吾↑

新人マッスルこと井上敦之↑

同窓会組から 石川から来てはや10年 作田のタッチャン↑

僕のエロの二番弟子 橋本のテッチャン↑

京都西サイドで10年以上シーンうを見てる ヒサジ君↑

そして仮FLOWERからは 持病のヘルニアを押して喜多一平↑

で、ドロドロのスケ汁出まくりロリコンにはたまらん
現在AJSA関西サーキット上位につけている
17歳現役高校生 平成産まれの森中イッセイ。↑

同じく関西サーキットでイッセイと戦った
ポストマン小泉タクシ↑

と、何となくで自転車で東京から京都に来て
四国一周してまた京都に戻って来た小林正和。
ちなみに移動は全てチャリ…。↑

で、途中合流で愛媛からPONこと浜崎忍↑

とよくもまぁここまで共通点の無い馬鹿ばっか集まったな…と
我ながら感心するメンツ。

この11人は「絶対無理やろ」「しんどいやん」を言わなかった
生え抜きのエリート馬鹿。

そのエリートさは旅の前から始まっていた。

距離が距離なだけに前日夜には出発しなくてはならない。

なのに、旅には参加しない馬鹿の足をさされて
仮眠に帰宅したのは出発の1時間前
意地でも仮眠してやろうと目をつぶった途端
携帯がけたたましく鳴る。
平成産まれのイッセイからのメール…。

「メッチャ明るいライトあります。いりますか★」

こいつのきっつい魚眼レンズとバッテリーライトへの
執着はエグい。前から気にはなってたが…。
何で今、このタイミングなのか…
サッパリ分からない。

「行くのは昼間やで。仮眠しなさい」と返す。

やっと落ち着いたと思い再び強制的に目をつぶると

「おはぎはおやつに入りますか?」

とヒサジから。

「入りません」
と返したら仮眠終了を告げる目覚ましタイマーが鳴った。
ちなみにヒサジは四捨五入したら30歳になる年齢…。

結局一睡もしないまま旅は開始した。
車2台の予定で、コッチサイドは小林が酔っ払っている以外は
問題なくスムーズに集合。
もう1台の車との合流場所へ急いだ。

またまた携帯が鳴る。
今度はテッチャンから…。

「ホモロウ君久しぶり~ウンコ踏んだし遅れるわ」

あまりに難解な遅刻の理由に絶句する。
テッチャンはまくしたてる様に

「マッハで家戻ってウンコ洗うわ」

そう言う。
どういった状況でウンコがどこに付着か分からないけども
ウンコ付いたままのヤツと半日の行動を共にするのは
嫌なので遅刻を許可した。

ウンコを踏んだテッチャンはさほどの遅刻も無く
合流出来、緑の看板(高速)へと車を進めた。

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第四章

長い車内は決まりキンタマで猥談と成る。

アメリカのプロツアーだろが、他府県のスケーター達の旅
だろうが野郎が2人以上集まるとほぼ100%に近い確立で
猥談になるのは確信がある。

多分にもれず僕の車(ホモービル)の車内も
「○×(女性アイドル名)はイケるイケない」
とか
肥大した妄想をぶちまけたほぼSFの
ジャンルに入る様なプレイの話…。

とても文字には書けない
猥褻極まりない言語が飛び交っていた。

平成産まれのイッセイが最後部座席で可愛く眠りに付こう
とするとマッスルの
「イッセイ、寝てるんやったら返事しろ」
とモロ頭の悪い体育会系のいびりが続く中、夜は明けた。

ひたすら太陽が昇ろうとも車内は深夜モードのエロ話。

ちなみにもう1台の車の中では

"らせん階段を登らせて下から覗きたいアイドル"

と言う議題で、タッチャン、テッチャン、タクシ、ヒサジで
実にコクのある大人の討論が夜通し行われていたみたい。

途中のパーキングでは○尻エリカにアミタイツを履かせて
まではまとまりつつあったが、僕の
「スポーツブラも念頭に入れてみろ」
との助言で更に議論は沸騰したと言う…。 

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第五章

緑の看板を降り、「ホンマにスケーターいるの?」と
疑いたくなる山道をひた走る。

耳の中がこもる感覚と山間部特有の曇空に
標高が高いなぁ~と思っていた瞬間
ひた走る車のガラスに水滴を確認した。

雨。

スケーターと雨はギズモと水ぐらい取り合わせの悪い
悪条件。
大抵の普通の感覚のスケーターなら雨を確認した瞬間に
"落ちる"

が、そこはエリート達「あ~降ってますね~」程度で
さほど気にする素振りもない。
僕はこの手の馬鹿は凄い好きなので更に激しさを増す
雨の中、車1台かつかつの山間部の道を突き進んだ。

途中立ち寄った"朝市"にいたおばはんに
朝飯でも食える所がないか聞く。

「この辺りは何も無いのが名物」

と開き直りに近い助言もうなずける。

途中の道で見かけた観光マップにも
【春は桜 夏は蛍 秋は紅葉 冬は雪】
と書いてあった…。
まとめて【ザッツ田舎】とかで良いと思うねんけど…。

雨は止む事なくそれに重ねてあまりの山道の連続に全体的に
「ホモロ~!!道間違ってるやろ~」的なムードが流れた時

噂のパークは山道を曲がった瞬間突然現れた。

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第六章

"ストリート"を意識した作りで、この形状のパークは
日本でここ以外では無いと思われるタイプの
全く新しいコンセプトのパーク。

1度行った事のある僕はこの
曲がって突然今までの状況からは考えられない
風景が現れる瞬間が物凄く好きで、最初に行った時も
ジャングルを掻き分けて古代遺跡発見した
インディジョーンズの様な気持ちになれた。

ただ、雨は一向に止む気配は無かった…。

パーク横の休憩小屋では現地で待ち合わせしていたPONが
頭を抱えてこんで紙パックのブドウジュースをあたかも
点滴の様にストローですすっていた。PONは"落ちて"る様子だった。

京都勢の
テッチャンはこの日に合わせて買ったまっさらのデッキに
デッキテープを貼りカッターナイフなしで
ヘタを引きちぎって、土砂降りの中を滑りに行った。

デッキを濡らすのはあってはならない行動なのに
ピーカンの様に楽しそうに滑るテッチャンを見て
ギズモがプールに落ちてグレムリンが大量発生したか
の様に全員が雨の事など気にもせず一斉に半ば強制的に
滑り始めた。

雨に対して文句言うどころか

「涼しくてちょうど良いわ~」

というメンツに
馬鹿とハサミは何ちゃらと言う言葉が頭をよぎる。

僕は自分の汗でデッキが濡れても嫌なタイプの
人間なのでみんなが雨の中滑っている
完全に湿りきったテールの弾く音を子守唄に眠りについて
しまった。

心地よい鳥の鳴き声と「(地面)乾いてるで!!」という
誰かの声で目が覚めた。
快晴とまでは行かないが空は所々に青空も覗いている。

雨の中で1ラウンド終了した一行は
さらに白熱して2ラウンド目を開始し始めていた。

雨が上がった事で地元のスケーター達も集まり始め
パーク内は更にヒートアップし始めた。

意外かもしれないが、知らないスケーター同士は
軽く頭を下げる程度で過剰な挨拶はしない。
その日もそうだった。
ルールも点数も無いスケートボードの世界はこの頭を下げる行為は
実は挨拶では無く、侍が刀の"さや"に手が行ったのと同じ。
知らないスケーター同士はあくまでも"軽く"流し
プッシュ、パワースライドなどの基本動作で敵のレベルを計りあう。

「や~マン」と固い握手をするなんて
おざなりで、僕はこの"さぐりあい"の状況が人間臭くて
大好きな空気感でもある。
スケート歴が短い子達は「感じ悪いローカルやね」と
言ってしまう事があるが、それはお互い様
コッチも笑顔を見せて無いのだから…。

つまりこの瞬間は
「どっちが刀抜いて斬りつけに来るねん?」的な
非常に緊迫した状況なのである。

まずはローカル様が非常に高いカーブで
K-グラインドを決めた事で刀は抜かれた。

この緊迫した空気を全く察知していないKY(空気読んでない)な
平成産まれのイッセイの「階段飛びますカメラお願いします」で
京都勢も何となく刀を抜いた事になった。

マッスル、PON、タクシなど若手も次々に刀を抜き
参戦。
まぁ、誰1人プロはいないのでコケる方が多い。
コケるわコケるわ、ただローカル様達も「おしい」と言っている。
つまりコレは遂に刀が火花を散らせて合わさってる状態。

そんな中、「何かしてるんちゃうけ?」と思うメイク率と体力で
イッセイがステア(階段)トリックを量産。
5発までは順調に決めたが最後のトリック
のノーリーバックサイド180ポップヒール(トリック名長っ!!)
が決まらない。
あまりの蒸し暑さに全員がバテててもイッセイは止める事無く
トライを続ける。
カメラマンのオカモまでもが「手ツル…」と言う次元まで来た
瞬間、イッセイが執念のメイク。
打ち込み過ぎ(確実に100回はトライしてた)
ボロボロになったデッキをイッセイが自らとどめを指して
(デッキを割って)パーク全体が興奮に包まれた。

興奮の熱はローカル様にも伝ったのか
その直後、ローカル様がありえない角度のバンクに
ありえないスピードでバックサイドヒールをトライし始める。
許可を貰ってないが写真、ビデオ共にスタンバイする
僕とOKAMO。

この暖まった状況下で「出来ませんでした~」では
すまされない。関西ではそれを"火消し"と言い
笑いであろうが、ガチであろうがソレやって空気を冷めさす
のは恋人とのディナーの席で今朝ヒリ出したウンコの
話をする位、やっちゃいけない事。
友達同士なら「オマエ寒いわ」で終われるが
暖まった状況しかも知らない人にカメラまで向けられてる
環境はやってる方は相当根性がいると思う。

がローカル様は数度のトライで難なくメイク。

パーク内が一斉に歓声を上げる。

ローカル様が"さや"に刀を戻した。

ここで初めてこのローカル様にお名前を伺う
「ブッチョです メタボリック気味です」
と屈託のない笑顔で答えて下さった。

アダ名のブッチョのブッチョはデブッチョから来てるのか
気になったが、怖いから聞けなかった。

「集合写真撮るよ」との僕の合図でこの勝負は
引き分けとなった。(毎回最後は絶対そうなるのだけど…)

最初はみんな軽く頭を下げる程度だったのに
数時間、同じ場所でスケートボードをするだけで
最後は集合写真が撮れる。
スケートボードの魅力であり、形にはまりたがらない
偏屈者達の丸裸の美しい姿だと僕は思う。

何でもブッチョさん達は【島根スケートボード協会】を
取り仕切る役員様らしく、日々島根のスケートボードシーンの
活性化に貢献してるらしい。
パーク本体、そしてそこにいたキッズ達の姿を見て彼らの活動は
確実に花咲いてると思った。
と、同時に京都スケートボード協会副会長の僕も
負けてられないな…と帰りに入ったパーク近くの温泉で思った。

ちなみにイッセイは将来有望な【お宝】をぶら下げていた。
タッチャンの胸毛と腹は醜かった。
ポンは洗い場で内モモをツッてしまい
ありえない場所でもだえてた。ポジション的には地べたで
様々な男のケツを見てもだえてるとしか見えなかったので
他人のふりをしておいた。

グルメと無縁であまりの大人数の為、温泉内の食堂で
少し早い晩ご飯を食べ、帰路に着いた。

滑る+風呂+飯には恐ろしい睡眠効果がある。
ヘタな睡眠薬よりもキク。
目が覚めたら天国は絶対に嫌なんで
雄たけびを上げる。
僕だけ運転で他メンツも寝るわけにはいかないので
雄たけびを上げる。

多分、隣レーンを走ってた人は気持ち悪かったと思うが
雄たけびと帰宅後の今夜の"オカズ"の話
イッセイの爆弾トークなどで
6時間30分で京都ICを無事に降りる事が出来た。

I.Cを降りて少し走った所で
昨日仮眠終了の合図でセットした携帯アラームが僕のポケットの
中でブルブルと揺れていた。

ジャスト24時間で馬鹿はここまで出来るんやなぁ~。
そして、32歳になってもまだイケるな…とも思った。

PS,ツアー参加者は"しをり"に添付されている
絵日記を提出する様に!! 

ここまで読んだ人…相当の遠出フリークか
耳クソと鼻くそ混ぜて遊ぶ位暇やったんでしょうね…お疲れ様でした。島根県。

(島根ツアーのスケートフォトは後日フォトコーナーにアップ予定なのでそっちで見てください。)

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